探究学習のすゝめ

探究学習のスペシャリストを目指す初心者がアウトプットする場として。

「共同体」としての探究学習

 

探究学習の進め方は、個人だけで進めるよりも、グループで進める方が効果的と言われます。

 

過去の記事でも同じようなことを書きました。

tankyunosusume.hatenadiary.com

 

多くの本でこの説を読んだとき、私は当初、個人ごとにテーマを決めるのではなく、グループ単位以上で同じテーマを扱うべきなのかと勘違いしていました。

 

しかし、本質は違います。テーマは個人ごとに違っていても、グループ単位で同じでも、どちらでもかまわないのです。

 

グループで行う、「共同体」として探究学習を行うメリットは、主に2つあります。

 

ひとつは、他者と対話することのメリット。自分の考えをアウトプットすることで整理できたり、グループの他のメンバーから意見やアイディアをもらったりして、より考えを深めることができます。

 

ふたつめは、「共同体」の中での自分の役割、居場所を作ること。

 

プロジェクト型学習を中心に教育を行っているアメリカの公立学校High Tech Highでは、どんな家庭環境の子でも社会での自分の役割や居場所を見出すことができることを目指してプロジェクトを推進しているといいます。

 

人間は、集団社会でしか生きていけません。

 

河野哲也(2021)は、次のように述べています。

 

私たちの社会生活はほとんどが共同作業です。個々人が競争することで、よい業績が生まれ、社会貢献につながるような仕事が一体どれくらいあるでしょうか。むしろ必要なのは、それぞれの個人をうまく協働させて、全体として優れた業績を生み出す組織を作ることです。

 

確かに資本主義社会なのでまだまだ競争原理はあちこちに燻っていると思います。

 

ですが、これからの時代、競争だけで社会が維持できるとは思えないのも現実です。

 

一人ひとりが役割や居場所を見つけることができるような探究学習が当たり前になるように、頑張らねばと思います。

 

参考文献:

『問う方法・考える方法 「探究型の学習」のために』(河野哲也/著)

『「探究」する学びをつくる 社会とつながるプロジェクト型学習』(藤原さと/)

教員自身が探究者であれ

 

探究学習について調べていると、「教員が探究する姿勢が重要」という主張をよく見かけます。

 

探究学習のことばかり勉強していると「その通りだな」と自然に思えるのですが、慣れない人にとっては「教員はただでさえ忙しいのに、悠長に探究している時間なんてないのでは」と思われるかもしれません。

 

そこで、「教員自身が探究者であるべき」根拠の一説を見つけたので、紹介します。

 

探究学習は、徒弟制という教育方法を応用できるといいます。

徒弟制とは、昔ながらの、親方に仕えて働きながら徒弟が技能を学ぶ教育方法です。

ドラマとかでよく見る光景ですね。

 

そのプロセスは以下の通り。

モデリング

 教育者が学習者に行為を見せ、学習者に観察して学ばせる

コーチン

 教育者は学習者に実際に課題に取り組ませて、細かくフィードバックを行う

③足場かけ

 教育者が補助しながら、学習者にできることを任せていくと同時に、補助を減らしていく

④関連づけ

 教育者の問いかけにより、学習者に自分がやっていることを言語化させ、知識と課題への取組を関連づけさせる

⑤振り返り

 教育者は、学習者に自身の課題への取り組みを振り返るよう促す

⑥探究

 教育者は、課題への取り組みを内面化させ、次の目標や課題をつくるよう促す

 

ここでは、教師がモデリングとして、自分が現在行っている研究や、大学時代に行った研究などを紹介する例を挙げています。

 

もしくは、別の本では、教員同士が自分の担当科目に対して「その教科を学ぶ意義」を語り合い、探究する姿を生徒に見せるところから、カリキュラムをスタートさせている事例がありました。

他の教科の見方・考え方に触れることで、自分の専門とする教科にも新しい気づきを得られたといいます。

そういった教師の気づきを生徒に伝えることで、生徒が探究という学びに向き合う姿勢を変えていくこともできるのです。

 

実例を見ているだけでは生徒が実践できるとは限りませんが、ただ見るだけではなく、「学べることを盗む」姿勢を求めれば、そこから疑問や課題を見出すことができ、取っ掛りとしては十分効果がありそうです。

 

そもそも、私の持論としては、実家で何も家事をしない父親に「家事を手伝え」と言われても全く響かなかったように、言葉より行動で示すことが、教育者としてあるべき姿なのだと考えています。

探究学習も同じです。

それを忘れず、明日からの新しい仕事、頑張ってきます。

 

参考文献:

『高校教員のための探究学習入門』(佐藤浩章/編著)

『探究的な学びデザイン 高等学校 総合的な探究の時間から教科横断まで』(酒井淳平/著)

気候変動とSDGsを考える講演会に参加しました

 

つい昨日、地元の図書館からの帰り、ふと掲示板を見ると、「Z世代と考える 気候変動と私たちの暮らし」というポスターを見つけました。

 

なんと開催日は明日(今日!)。

 

とても気になってしまいました。

 

高校生に探究学習を指導する立場として、社会の役に立つことを何もしないのはどうなのか…と日々思っていたところだったので、予約不要だし、参加費無料だし、行くか!と気軽に会場へ行ってきました。

 

主催は地元の団体、講師として外部から現役大学生を呼んでの講演会でした。

大学生は、Fridays For Future Tokyoという団体の方。

 

地元の公民館のような場所で、果たしてどのくらいの参加者が来るのだろうか…?とおそるおそるの飛び入り参加でしたが、学校の教室くらいの部屋がいっぱいになるほどの人がいました。

 

まあ、圧倒的に高齢者だったのですが…。(もちろん若い方もいました)

 

気候変動が我々の生活に及ぼす影響や、今から個人でもできるアクションなど、学びの多い2時間でした。

 

寒いけど、行ってよかったー。

 

大きな収穫としては、主に2つ。

まず、同じ志を持つ人たちのコミュニティをたくさん知れたこと。

地元でも「ゼロエミッションを実現する会」という団体があることを知りました。CO2の排出ゼロを各自治体から目指す活動を行なっているとのことで、各自治体ごとに支部があるようです。

Green TEAという、オンラインコミュニティも紹介されていました。

 

自分一人で「環境にいい」行動をしたところで微々たるものなのでは…?と葛藤を抱える人にとっては、こういった団体に参加してみるのも一つの手だと思います。

 

実際、『人新世の「資本論』を書いた斎藤幸平氏は、SDGsを「大衆のアヘン」(問題の本質から目を背けさせるもの)としてぶった斬っています。エコバックやマイボトルといった「微々たる行動」だけで満足しているのは、むしろ悪だというのです。

それよりは、社会の仕組みそのものからCO2を減らす仕組みに変えていくよう、働きかけることの方が重要だ、と主張しています。

 

今回の講演会でも、同じようなことを参加者の方がおっしゃっていました。

実際、大企業や自治体への働きかけを行なっているようです。

 

2つ目は、参加者それぞれが抱える、周りの人への働きかけ方の悩みについてです。

SDGsに関わる活動をしていると友人に話すと、「気候変動とかSDGsなんて現代の宗教だよ」とか、陰謀論を信じているような人もいて、なかなか話が通じなかった、という参加者の方がいました。

 

周りの人にもアクションをうながすとき、シンプルな方法としては署名に協力してもらうなどの方法がありますが、それもまた厄介なもので、あまり署名を押しつけられたくない人もいるようです。

 

そんな人には、話を小出しにするとか、「エコ家電にすると節約になるよ」と相手のメリットを強調して話す、といった案が出されていました。

 

以下、講演会で紹介されていた署名を、置いておきます。

私もさっそく、署名してきました。

watashinomirai.org

ccl-jp.org

 

まとめ…ってほどもうまくまとめられないですが、今回私がこの講演会を知ったのも、たまたまポスターを見たからでした。そして、区の施設にある掲示板には、思ったよりも情報が豊富に載っています。

そして、さまざまな活動をしている人たちがいます。

それらを知って活用するも、知らずに過ごすも、人それぞれですが、一度知ってしまうと、もう知らなかった頃には戻れないような気がします。

この記事で、さらに少しでも、アクションを起こす人の背中を押せたなら。

 

「好きなこと」から広げるテーマ

 

探究学習において、生徒の自主性に任せて「好きなことや興味のあること」だけを条件にテーマ探しをさせると、どうしても趣味の延長線になってしまうことがあります。

 

例えば犬、猫、ディズニー、K-Pop、最近なら”推し活”などでしょうか。

 

私の高校時代の研究論文の作品集を見ても、ディズニー、K-Pop、ペットをテーマにした作品がありました。

 

中高生が興味を持つ、避けては通れない分野です。

 

そんなとき、まずは好きなことを好きなだけ「調べ学習」する時間があっても良いかもしれません。

 

ただ、そこで終わっては「調べ学習」止まり。

 

趣味の延長線上のようなテーマだったとしても、教員による問いかけによって、好きなことからテーマを広げることは可能です。

 

その際、ただ「好きなこと」にとどまらず、「社会とのつながり」や「社会をよりよくするには」といった視点(これは一例です。それぞれの学校で方針を決めてください)を意識して問いかけをすることが、伴走者としての教員の役割です。

 

そして、教員が自分の専門外のことであるほど、伴走者として成長するチャンス、と『探究的な学びデザイン 高等学校 総合的な探究の時間から教科横断まで』では書かれています。

 

例えば、K-Popは(教科ではありませんが)私は詳しくありませんし、興味もありません。

そこで生徒がK-Popについて調べたい、となった場合、私は詳しくないのでいろいろな疑問が湧いてきます。

 

K-Popのどういうところが好き?なぜ好きなんだと思う?」

「日本でK-Popが好きな子ってどんな人かな?共通点は?」

K-Popが日本で人気が出始めたのっていつ?」

K-Popの曲の歌詞ってどんなことを歌っているのかな?」

「その歌詞はどんな社会を反映していると思う?」

K-Popのアーティストは本業以外にどんな活動をしている?」

K-Popによって日本社会にどんな影響があると思う?」

 

あくまでこれらは本を読んだ上での私の思いつきですが、こういった問いかけを繰り返し、深掘りしていくと、生徒は新たな疑問や興味に出会うかもしれません。そうしたらどんどん深めていけば良いと思います。

もしくは、「いや、これはただ好きなものだから、そこまで深く突っ込む興味はないな」などとなるかもしれません。そうしたら、このテーマは探究には向いていない、と判断して、早い段階で次のテーマ探しに時間を取れるでしょう。

 

探究学習指導の道筋が、また一つ増えた記録でした。

 

 

参考文献:

『探究的な学びデザイン 高等学校 総合的な探究の時間から教科横断まで』(酒井淳平/著)

他者との違いを受け入れる

 

探究の本や、『「みんな違ってみんないい」のか?』といった本を読んでいて、これからの時代に必要な大きな資質のひとつは「違いを受け入れ、議論し合い、よりよい社会を作っていく力」なのだろうと思うことが増えました。

 

昨今、SNSを見ていると、埋められない分断があちこちに見られます。

 

島国根性、村社会、という狭い日本社会の中で、いや社会よりも狭い世間の中で生きている我々にとっては、どうしても「他人と違うこと」や「自分(近しい人)と違う人」に不寛容になりがちです。

 

ちなみに「社会」と「世間」の違いはこちらの本に詳しく書いてあります。

『「空気」を読んでも従わない』(鴻上尚史/著)

 

とはいえ、アメリカの大統領選を見ていると、あちらでも分断や対立が頻発しています。もはや世界的に、他者に不寛容な、不穏な空気を感じます。

 

『「みんな違ってみんないい」のか?』では、倫理学的に主流となっている「功利主義(最大多数の最大幸福を目指す考え方)に反し、「正しさはみんなで作っていくもの」なのだと主張しています。これからの時代に必要な考え方だなと私は思います。

 

そして、探究学習は、その力を育てる格好のチャンスです。

 

探究学習の事例を見ていると、問いを立てるフェーズにおいて、課題に対する賛否両方の立場を客観的に把握することで、より説得力のある主張ができるようになる、とよく書かれています。

 

そこでグループワークを取り入れることによって、常にクラスメイトと議論し、さまざまな立場の意見を知った上で、自分の問いを深めていくことができるのです。

 

探究は一人でもできますが、やはり学校で探究学習を行う最大のメリットは、たくさんの他者と関わりながら探究を進めていけること。

これに尽きると思います。

 

学校で他者と関わった経験や意見を交わした経験は、必ず社会に出ても役に立ちます。

というか、社会に出たら議論し対立することばかりです。

 

社会人になると当たり前のように自分の意見を求められるようになるのに、学校でその練習をしないままでは、やはり学校から社会への橋渡しがうまくいかなくても不思議ではありません。

 

今の子どもたちが、学校でより良い学びを経験し、社会で生きていきやすい人生を送れるよう、我々大人も努力していかなければな、と思います。

(アラサーという若さの半人前が何を言ってるんだという感じですが笑)

 

 

 

 

 

 

「問いを立てる」ということ

 

探究学習の流れとして、

①課題の設定

②情報の収集

③整理・分析

④まとめ・表現

としてよく挙げられていますが、このサイクル通り進めると、単なる調べ学習になるのでは?と思われる方もいるかもしれません。

 

探究学習の進め方についてよくわかっていなかった頃の私もそうでした。

 

実際、自身の高校時代の研究論文を作品集で見返してみると、「これはただの調べ学習だな(苦笑)」としか思えない出来でした。

 

『探究的な学びデザイン 高等学校 総合的な探究の時間から教科横断まで』では、次のように述べています。

 

大事なことは、探究サイクルを1周して調べ学習を終えた次のサイクルで探究的な学びが始まるということなのです。調べ学習はスタートであり、課題設定の前段階として興味があるテーマについて調べ学習を行うことは有効なのです。自分で決めたテーマについて、興味の赴くままに調べていると、必ず新たな疑問が出てきます。そこから探究的な学びが本格的に始まるのです。

 

文科省の学習指導要領に載っている探究的な学びのスパイラルの図は、関連図書に掲載されているのを何度も見てきました。

 

でも、この図がどういうことを意味しているのか、今やっとわかったのです。

 

文部科学省 2018:12)

 

私が高校時代に取り組んだ研究論文も、2年近く一つのテーマに向き合ってきたことが原因だろうと思います。(そういうカリキュラムだったから仕方ないとも言えますが)

本来なら、この程度(笑)の調べ学習なら1年で終わらせて、そこからさらに疑問や課題を見つけてもう1年をかけて探究するのが理想だったのです。

 

探究学習は、1年やそこらで完結するものではありません。

まず1年かけて調べ学習のサイクルを通して課題を見つけ、次の1年でまたその課題に対して探究を進め、その次の1年で・・・というように、高校3年間じっくり時間をかけて取り組むべき性格のものなのです。

 

 

参考文献:

『探究的な学びデザイン 高等学校 総合的な探究の時間から教科横断まで』(酒井淳平/著)

 

www.amazon.co.jp

「総括的評価」と「形成的評価」

 

探究学習において、教員が頭を悩ませることの一つに「どのように評価するか」という問題があります。

 

数値では測りきれないスキルをどのように評価していくのか。

 

『「探究」する学びをつくる 社会とつながるプロジェクト型学習』から、評価方法についてのヒントを得たので紹介します。

 

まず、従来の学校で「通知表」という形で学期末に行われていた評価方法を「総括的評価」といいます。

 

しかし、皆が当たり前だと思っている「総括的評価」には問題点があります。

 

著者の藤原さと氏は以下のように問題点を指摘しています。

 

総括的評価では、何かに現在進行形で取り組んでいるときに、その学びの価値や質を判断することができず、したがって自分の行為をプロセスのなかで具体的に変えていくことができない。

 

会社の評価も同じですね。

私の勤めていた前職でも、半期ごとに目標を設定しては、期中仕事に追われては目標を忘れ、期末に慌てて目標を思い出して自己評価をしていました。

これでは目標も評価もほとんど意味をなしていないことは、よくわかります。

 

一方で、「形成的評価」というものがあります。

プロジェクトを進行していく中で随時評価活動を行うというものです。

問題が起こったらそれを振り返り、解決する手法を見出す。短いスパンで学んだことや成長したことを振り返る。

 

こちらの方が、探究学習には向いているのではないか、ということです。

 

目からウロコでした。

 

探究学習の評価方法ではルーブリック評価がよく例に挙げられていますが、『探究的な学びデザイン 高等学校 総合的な探究の時間から教科横断まで』(酒井淳平/著)でも、評価は「みんなでつくっていくもの」だと書かれています。

 

評価の方法を教員だけでなく、生徒にも共有しながら「育てていく」ことで、生徒も身につけるべきスキルを意識することができるのです。

 

学校と企業の共通の課題として挙げられる評価の問題。

 

学校の評価活動から「形成的評価」に変えていけば、その学校で育ったこれから大人になる子たちが、企業で評価文化をも変えていくかもしれません。